修羅場ってる？ 8

昨日の出来事は…

考えたって今すぐ答えなんて出ないから

とりあえず目の前にある仕事を片付けてゆく

道明寺は現在、日本の某製薬会社の買収に向けて水面下で準備を進めている

その製薬会社にはドイツの製薬会社も買収に向けて動いているとの噂があり
その噂の真偽を探りながら
既に治験段階に入っている新薬の調査も進めている

夕べ遅くに上がってきた報告書によると
ドイツの製薬会社が買収に向かって動いている事は確かだが
新薬に対しては治験の検査データに不審な点が見つかり
更なる調査が必要だと書かれていた

心臓病に対するこの新薬は非常に画期的で
もし認可されれば日本だけでなく将来的に世界中で使用される事になるだろう

楓社長としてはなんとしてもこの買収計画を成功させたいはず

私の仕事はその下準備

結論を出すのは私の仕事じゃない

私の仕事は調査した結果を報告するだけだけど

この調査報告書はまだ出せない

治験データに関して更なる調査と
ドイツの製薬会社の動向も引き続き監視するようにと指示を出すメールを送り終え

朝食を食べようとしていた時だった


部屋の外から何かが壁にぶつかるような音と叫び声が響いてきた

クロワッサンに伸ばし掛けていた手が空中で止まる

ドサッ！


バキッ！


ドン！


ガン！

何かが激しくぶつかる音に続いて
時折、怒鳴り声のような物も響いてくる

部屋の外にいるのは私のＳＰ

このフロアには一般の客室はない

隣の部屋は椿お姉さんの部屋だけ

道明寺家の人間以外

例え従業員でも簡単には近付けないフロアに響き渡る音に
仕事柄、咄嗟に身構えた


「奥様、こちらにお越し下さい！」

奥から出てきたバトラーの柏崎さんの声に
弾かれたように立ち上がりベッドルームへと入り
柏崎さんの指示に従い鍵を掛けた

「状況を確認してまいりますので
お部屋に鍵をお掛けになりお待ち下さい！」


いつも冷静な柏崎さんも流石に緊張している

私は頷き部屋の鍵を掛けベッドに腰を下ろした


時間にして５分程だったと思うんだけど

やけに長く感じる


時折響いてくる怒号に緊張の時間が過ぎてゆく

やがて静かになったと思ったのも束の間

今度は私がいるベッドルームのドアを直接叩く音がして

思わず腰を浮かし身構えた


んだけどね…

響いてきた声は…


私がよく知る声だった



「牧野！」


ど、道明寺？！


「牧野！居るんだろ？！
俺だ！開けてくれ！」


ガンガンとドアを叩く音と道明寺の声が脳内に響いている

侵入者が道明寺だったって事に安心はしたんだけどね

ドアを開けるのは躊躇われ


ベッドサイドに立ち尽くしたまま
ドアを見つめていた

「牧野！頼む！
話がしたいだけだ！開けてくれ！頼むから！牧野！牧野！牧野！」


張り上げる声とドアに響く音

悲壮感漂う悲鳴に近い声が何度も

何度も私の名前を呼ぶ


朝っぱらから


これって


修羅場じゃない？


私

二日連続で修羅場ってる？



「牧野！開けてくれ！頼むから！
開けろ！牧野！開けねぇーなら蹴破るぞ！」


お願いがいつのまにやら脅迫に変わっている

ハァ～仕方がないから開けますか…


ドアに近づき鍵を解除してドアから離れた


ガチャリと解錠する音にドアの向こうの道明寺の動きが止まったのが分かった


やがてゆっくりとドアが開き


道明寺が姿を現した



「ま…き、の…」


今までの勢いは何処に？ってぐらい

ゆっくりとドアが開き

戸惑いがちに呼ばれた名前


その声とボロボロの姿に思わず笑いが込み上げてくる

んだけどね


笑ってる場合じゃない！


「ＳＰは？」

「ろ、廊下で気絶してる…」

バツが悪そうに少し視線を反らしながら答えた道明寺

「柏崎さんは？」

「な、殴ってねぇ！」


「奥様、わたくしは大丈夫でございます」


道明寺の後ろから聞こえてきた柏崎さんの声にホッとする


「柏崎さん、申し訳ないけれど
廊下のＳＰさん達の手当てをお願いします」


「は、はい…ですが…」


「私なら大丈夫ですから。
ＳＰさん達をお願いしますね」


柏崎さんが私の身の心配をしてくれているのは分かっているけれど
今の道明寺の雰囲気から彼が私に危害を加える心配はないだろうと判断した


「畏まりました。
何かあればすぐにお呼びくださいませ」


「ありがとうございます」


「いえ、それでは。
失礼いたします」


柏崎さんが部屋から出て行ったのを確認してから
私は食べかけの朝食がそのままになっているダイニングの椅子に腰をおろした


「５分だけ。
時間が無いから食べながらでよければ５分だけ話しを聞きます」


そう言って道明寺の返事は待たず
クロワッサンに手を伸ばした


目の前の椅子に腰をおろした道明寺は
さっきの勢いは何処に？ってぐらい静かで何も話さない


「後３分だけど？」


「愛してる」


唐突に発せられたドストレートな言葉に思わず飲んでいたオレンジジュースを噴き出してしまった


そんな私にナフキンを差し出す道明寺

私は彼が差し出したナプキンを無視し
自分の膝に掛け置いていたナプキンで口元を拭う

「私は愛してない」

当然の答えだと思うんだけど

そんな傷ついた顔しなくても…


「分かってる…
だからこれにサインしろ！」


ん？


食べていた朝食のお皿を勝手に脇に退けられ
サインしろと目の前に広げられたのは婚姻届


全く意味が分からない

目の前に広げられた婚姻届には私の名前以外は全て記入されていて
婚姻届と一緒にご丁寧に万年筆と牧野の判子まで渡された


意味が分からない…


どう理解すればいいんだろう？


「愛してないって言ったでしょ？」

「あぁ、聞いた」

「だったら、私がこんな物にサインすると思った？」


「俺はしたぞ」


ん？


「俺はあの時、愛していないお前との婚姻届にサインしたぞ！」


いやいや！

意味が分からない…

「自分がしたんだから私もって事？」


「そうだ！俺が出来たんだからお前だって出来んだろ？
それとも俺には出来る事がお前は出来ねぇってか？！」


いやいや！


めちゃくちゃじゃない！？


意味不明過ぎて訳が分からないって！

ダメダメ！


こいつのこのめちゃくちゃな論法に惑わされちゃダメ！



「ハァ～」

彼の目の前でこれ見よがしの大きなため息を一つ吐き出し
目の前に広げられた婚姻届を丁寧に畳み彼に差し出した


「私は無理だから。
それにサインしたら重婚になっちゃうから」


彼が口を挟んでくる前に一気に言い終えると
バッグとジャケットを手に逃げるように部屋を出た


ハァ～


びっくりした！


エレベーターに乗り込んで大きく息を吐き出す


ゆっくりと地上へと降りてゆくエレベーター

少しずつ離れて行く私と彼との距離


私は一体


何から逃げてきたのだろう？











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